インタビュー

フィリピン人男性 Yさんの声

2013年4月11日 木曜日

私は、フィリピンのYです。来日して今年で21年になります。幼いころから、心のどこかで日本に行きたい、と思っていました。

1991年(30歳のとき)、船の修理の仕事のためバーレンに行きました。そして、その2年後の1993年、仕事で30日の休みがあり、この機会に友達がいる沖縄にとびました。このときからすでに、この先フィリピンに戻るつもりはありませんでした。当初、日本語は全然分からず、ゼロからのスタートでした。だから、辞書をひきながら自力で勉強をしました。

沖縄に来て一か月間、友達の家に泊まらせてもらいながら仕事を探しました。しかし、なかなか職につけなかったため、従兄弟がいる横浜にいきました。そこでペンキ屋さんに就職し、19年間働きました。

辛いときは、フィリピンにいる3人の息子のことを思い出しました。フィリピンでは、大学を卒業していないとなかなか就職できません。私は昔、大学を途中で辞めて苦しい思いをしました。こんな思いを息子たちにはさせたくない、3人が大学を卒業できるように、自分が頑張らないといけないという強い思いがあります。この気持ちがあったから、今まで頑張ることができました。

日本で一番うれしかったのは、10年前に教会で今の彼女と出会えたことです。彼女は、真面目で優しく、この先もずっと一緒に日本で暮らしていきたいと思っています。しかし、私は現在、在留資格がありません。彼女もフィリピン人ですが、以前、日本人と結婚をしたことがあるので、永住資格があります。今までと変わらない生活をするためには、私は在留資格が必要になります。今後、彼女と結婚をして在留資格を得るつもりです。

フィリピン人女性 Cさんの声

2010年7月22日 木曜日

1990年代に初めて日本に来ました。家族と離れるのは寂しかったですが、貧困に苦しんでいた家族のために出稼ぎを決めたのです。

フィリピン人の夫と結婚してから18年も経っていて、日本で二人の子供も生まれています。現在それぞれ中学校2年生と小学校5年生です。

日本はとてもにぎやかで、観るべきところも多くて、第一印象から圧倒されました。すばらしい国だと思います。

長年日本で生活しようとすれば、日本に適応しなければならず、それは簡単ではありません。例えば食文化に慣れる以外に、日本語の勉強も必要です。

日本で暮らしながら良くも悪くも色々な体験をしてきましたが、その体験こそが今の自分を形成しています。皆さんも、自分を信じて頑張ってください。

ビルマ人女性 Sさんの声

2010年7月22日 木曜日

私の名前はSと申します。出身はミャンマーです。私には家族がいます。私たちはミャンマーで色々な事情があって、また、息子の未来のため、これから自分たちの人生を日本で送ろうと、1990年に来日しました。初めて成田空港に着いた時、日本語は読めない、書けない、もちろん話せませんでしたので、とても大変でした。文化も違うので、食べ物はもちろん食べられない、水も飲めなかったです。

日本の国は、高い建物やバス、電車がたくさんあり、一番驚いたことは、みんな朝になると起きて働き、ふつうに暮らすことが出来る“自由”があることでした。日本はとても自由で、便利で、すばらしい国だと思います。

とても豊かな日本の国と母国のつらさを比べてミャンマーの状況があまりにもつらかったので、私の家族はしてはいけないこと不法滞在をしてしまいました。家族3人は15年間、不法滞在者として、不安をかかえながらも、人の物を盗まない、人を殺さない、悪いことをいっさいしないで真面目に頑張って生きてきました。ところが2006年2月、不法滞在として入国管理局につかまってしまいました。品川にある入国管理局の中に入れられ、毎日決められた生活をしてきました。とても大変でした。

日本に来てから色々な人に出会い、多くの方の力や助けをいただいて、2007年、法務大臣から定住者ビザをいただき、やっと家族三人そろって安心して日本で暮らすことができるようになりました。日本の国や今まで出会って助けてくれた人たちに、心から感謝しています。

私もミャンマーにいただけでは分からなかったことを日本で学び、日本へ来て世界が広がり、自分の考え方も変わったと感じます。これから日本でずっと暮らしていくため、日本の歴史や文化をもっと学び、色々な人に出会って自分の視野を広げたいと思い、2008年4月、A高校定時制に入学しました。2009年5月で二年生になり、今頑張っているところです。

日本で私と同じように不安をかかえている外国人達がたくさんいると思います。

皆様も最後まで、諦めないで真面目に頑張れば、いつか自分達の夢が叶うと思います。一般的に日本で不法滞在はあまり印象がよくありません。しかし不法滞在者の中には真面目に働いている人たちや、学校へきちんと通っている子供たちがたくさんいます。日本の皆様にも、外国人達のことをもっと理解して欲しいです。どうかよろしくお願いします。

フィリピン人女性 Bさんの声

2010年2月27日 土曜日

20年前、日本語が分からないまま来日したので、最初は大変でした。1993年に主人と出会い、現在公立の中学校に在籍中の13歳の息子が一人います。日本は生活費が高いので、子どもを育てるのは大変です。親として、息子が素晴らしい将来を歩めるように頑張って仕事をしていきます。

地元の教会でボランティアとしてフィリピン系のダブルの子供達のバイリンガル教育に関わっています。日本の価値とともに、子ども達にキリスト教を含めてフィリピンの国の良い価値観も教える事が大切です。同時に、日本語も覚えて、第二の母国である日本を愛していこうと思っています。

外国人コミュニティを支援しているAPFSには感謝しています。日本政府も、日本で暮らしている外国人のために、より多くの政策をとってくれればいいと思います。APFSは私の家族です。そして家族は社会の基盤であると信じています。

バングラデシュ人男性 Aさんの声

2009年12月27日 日曜日

私はバングラデシュ人で、三年間東京に住んでいます。
最初は言葉や通勤列車、色々大変でしたが、同僚や勤め先のレストランのお客さんのおかげで、日本語が徐々に上達しました。

日本では、大家さんが嫌がるなど、外国人として貸家を探すのはとても難しいですが、友達のおかげで職場に近いところを見つけることができました。この問題を解決するために、国民の意識改革など、政府の責任が大きいと思います。

母国に送還されないように、APFSは多くの(非正規滞在)外国人を支援してきました。日本はそもそも世界中の人々にとって魅力的な国で、来日している外国人は日本人と仲良くして生活したいです。また、高齢化によって人手も段々足りなくなってきています。

自分の考えを表現できる場を提供していただいて、APFSの皆さんに感謝しています。