在留特別許可と非正規滞在外国人

A.P.F.S.と非正規滞在外国人

A.P.F.S.では在留資格にかかわらず、問題を抱えている外国人からの相談を受け入れてきました。結果として、数多くの「非正規滞在外国人」(在留資格のないまま日本に暮らす外国人)が事務所を訪れ、支援を行うことになりました。

非正規滞在外国人が正規化される道として、「在留特別許可」があります。これは、在留資格のないままに日本に暮らす外国人に在留資格を法務大臣が認めることをいいます。A.P.F.S.は在留特別許可が弾力的に運用されるよう、これまで一貫して訴えてきました。

1980年代には、日本人配偶者と結婚した非正規滞在外国人の正規化が認められるようになりました。その後、問題の焦点は両親が外国出身の非正規滞在外国人家族に移りました。1999年9月1日からは、非正規滞在外国人家族を結集し、三回にわたって「在留特別許可一斉出頭」を行いました。この行動は多くのマスコミ、研究者、外国人支援団体に支持され、結果、42名の非正規滞在外国人に在留が認められることとなりました。

その後、「不法滞在外国人半減政策」が2003年から始まるなど、彼・彼女たちを取り巻く環境は厳しくなっていますが、今もなお、日本には約11万人の非正規滞在外国人が存在しています。藁をもつかむ思いで、多くの非正規滞在外国人家族が事務所に相談に訪れています。彼・彼女らはなぜ、適法に在留できなかったのでしょうか。また、彼・彼女らは、実際にはどのような人たちなのでしょうか。

非正規滞在外国人が適法に在留できなかったのはなぜか

非正規滞在外国人家族の父親および母親の多くは、1980年代後半以降、アジア各国から、日本に出稼ぎにやってきた「外国人労働者」でした。バブル真っ盛りだった日本では、工場や建築現場、飲食店などが彼・彼女らの労働力を必要とし、母国の家族の生活を支えるために彼・彼女らは働いてきました。1990年代以降、日本での滞在が長期化し、彼・彼女らは結婚、出産を経て、日本で生まれた子どもの「お父さん・お母さん」になり、家庭の基盤を日本に置くようになりました。しかしながら、日本には彼らのような存在を受け入れる在留資格が存在せず、やむなく彼らは超過滞在をしてきました。また、日本は国籍取得にあたり血統主義をとっているため子どもたちにも在留資格はありません。

非正規滞在外国人とはどのような人たちなのか?

いずれもメディアに報道をされるような「不法滞在者」「犯罪者」とは異なります。

父親達は、3K(きつい・きたない・きけん)と呼ばれる、多くの人がやりたがらない仕事に従事し日本社会の底辺を支えてきました。母親達は、日本語に不自由を感じながらも、PTAや町内会等の行事に積極的に参加し、地域の一員として生活をしています。

子どもたちは、いずれも日本で生まれ、公立の学校に通い、周りの日本人の子どもと同じように生活をしています。子どもと親との会話は全て日本語でなされ、親の国の言葉を話すこともできません。子どもが大きくなった今、もし無理やり一家が送還されることになれば、子どもの教育はどうなってしまうのでしょうか。彼、彼女らは子どもに十分な教育を受け続けさせるため、家族で日本に在留することを求めています。

A.P.F.S.では、今後も非正規滞在外国人の在留を求めて行動を継続していきます。
皆さまのご支援・ご協力の程よろしくお願いします。